物理である必要性はないかも

 物理を学ぶ大学生、大倉耕介は指導教官から一人の少女を世話するバイトを斡旋される。彼女の名前は咲耶といい、精霊を介して魔法を使う魔法使いだ。
 昔の出来事から感情表現が表に出なくなってしまっている耕介だが、他人にやさしく、よく人を気遣う。一方、咲耶は『時詠みの追難』と呼ばれる魔法に関する問題を抱え込み、優しくしてくれる人を頑なに拒絶する。しかし、そんな彼女の築く心の壁は、当たり前に接する耕介の言動と、彼の友人である野々村あすみの親しみによって崩れていく。
 だが彼女が抱える問題は本質的に解決したわけではなく、彼女を利用しようとする人々の包囲網は徐々に狭まっていた。

 一対一の対話によって展開する場面が多い気がする。三人以上が同じ場にいる時でもその傾向があると思う。スポットライトが当たっている人しか話してはいけない、という感じ。
 表紙や煽りを見ると、白と黒、魔法と物理という対立項が物語の中心にあるという印象を受けるが、読んでみると対立できるほど物理の存在感が濃くなかった。特に、24〜25ページあたりの記述からは、物理に対する愛を感じることはできなかった。それに、物理というよりは化学という感じがする。
 一応最後の方に、魔法と科学の関連性に基づく解決が図られるのだが、水の精霊についてあのような解決がされるのなら、火の精霊は一体どう解釈されるのだろう?樹木の精霊はともかく、火の精霊は登場させないか、あるいは表現を変えた方が、解釈の一貫性が保たれた気がする。

   bk1

   
   amazon

   

内堀優一作品の書評