精神系の能力って実在証明が難しいね、見えないから。

 人里離れた洋館で、首なし死体が一つ。洋館自体が密室で犯人は内部の人間に限られる。さて犯人は?という状況で繰り広げられる物語はミステリーと言えるだろう。しかし、本格推理かというと、そうではないと思う。
 登場人物が特殊能力を持っていて、それを使って犯人捜しをするとか、魔術や悪魔という単語が飛び交うからそう思うのかと言えば、そうではない。確かに、超常的な能力を理由にするのはアンフェアだが、それは事前にきちんと説明しておけば良いだけの話だ。色々考えた結果、これが違和感の正体かも、と思いついたのは、作中で多用される背理法だ。

 背理法は、AはBではない、という仮定を置き、それでは矛盾が生じることを証明することにより、AはBである、という命題を証明する方法だ。ボクはミステリー作品をあまり良く読む方ではないが、ミステリーで探偵が使用するのは演繹法の様な気がする。つまり、AはBでありBはCであるからAはCである、という証明方法のこと。少なくとも、物語の最後に探偵が真相を披露する際には、必ず手順を踏んで説明してくれる。
 この理由はおそらく、手順を踏んで説明してもらった方が直観的に納得しやすいからではないかと思う。一方で、背理法は、論理として正しいことは理解できるのだが、直観的には納得しにくい。直接的に証明したわけではないから、まだ反論の余地がある様な気がしてしまうのだろう。

 おそらく、作者は本格ミステリーを書こうと思ったわけではないと思うので、こんなことを考えてしまうのはおかしい。そもそも出発点に、コペンハーゲン解釈ゲーデル不完全性定理など、証明できないことの証明の話を持って来ているのだから、このような展開になるのが正解なのだ。ただ、このスタート地点が、ゴールにたどり着くための正しい出発位置だったのかな、ということに、少し疑問を抱いただけである。個人的には楽しいけれど。

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