背中で語る男達

 日米開戦前夜。かつては海軍の主流派でありながら、対米戦争反対を公然と唱え閑職に回されていた堀場季四郎大佐は、まさにその対米戦争を有利に進めるための布石として、ドイツへ特使として派遣される命が下される。
 ヒトラーへの手土産である九三式魚雷を管理する望月大尉と共に大佐を乗せたドイツの仮装巡洋艦ウラヌスは、北極海を経由してドイツを目指す。ソ連、そして英国海軍の勢力圏である海を渡り、彼らは任務を果たすことができるのか。

 自らの主義主張、野心など、それぞれを突き動かす根底の個を持ちながらも、帝国海軍軍人として、自らの持ち場を守るという役割からは逸脱しない強さを見せる堀場や永見。東洋人を黄色い猿と見下しながら、自らの任務を忌避しながらも、きっちりと仕事はこなすハイケン。立場の違いはあり、心に想うことはありながらも、その行動には一切の迷いがないのだ。
 戦争は無駄だと思いながらも、その戦争を有利に進めるための捨石になるかのごとき彼らの行動は、確かに馬鹿馬鹿しいと言えるかもしれない。しかし、彼らが軍人であると言う一点を考慮するならば、彼らの行動は職業倫理に適ったものといえると思うし、それに美しさを感じてしまう自分もいる。
 誰もがおかしいと思っているのに、何故か時代の流れはそのおかしなところに向かってしまう。そして、それに気づく時には、もう引き返せないところまで来てしまっているのだ。この狂った様な歴史の繰り返しは、どうして引き起こされてしまうのだろう。

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赤城毅作品の書評