答えがない問いを考え続けること

 17歳の少女である葛羽紅葉は、実業家の母親の会社が起こした事件のせいで、マスコミから追い回される存在になってしまう。そんな状態の時に、でびる屋なる裏家業を営む謎の存在、シャーマン・シンプルハートと呼ばれる男と、その男が操っている不思議な人形ハズレ君が、母親の苦境を救う交換条件として紅葉との接触を希望してきた。
 ハズレ君が対価として要求してきたことは、ただ紅葉が彼の質問に答えること。そこから紅葉を巡る状況がさらに変化し、でびる屋が関わる出来事に巻き込まれていく。

 目次を見ると100の質問が明確に書かれているが、本文中ではハズレ君と紅葉の会話の中でマシンガンの様に放たれるので、個別の質問に答えるという感じではない。そして、全ての問いに対して答えが返されるわけでもない。

 幼年期には世界の出来事全てに対して疑問を抱く。なぜ空は青いのか?夜はどうして暗いのか?鳥はなぜ飛べるのか?風はどうして吹くのか?数限りないなぜがその口から放たれたとしても、大人はそれを曖昧にごまかし、子ども自身もいつしか忘れてしまうことも多いだろう。
 これは成長するに従って、世界の常識を自然に受け入れていくからだと思う。ではこの世界の常識は何によって作られたのか。これは、人類の幼年期を生きた先人達が、疑問を疑問のままにせず、考え続け、調べ検証し、理論化してきた結果だろう。問いに答えがないことに納得せず、世界に答えを問い続けてきた結果だ。そして過去には疑問を抱いて当然だったことが、いずれは当たり前として処理される時代が来る。
 しかし、常識を常識として受け入れ疑問を抱かないことは、思考する存在として異常だとも言える。自分の周囲の状況を受け入れることが常態化してしまえば、どんな理不尽な状況が訪れたとしても、それを仕方のないことと無意識に受け入れるようになってしまう気がする。

 本書でハズレ君が紅葉にする質問も、紅葉からすれば当たり前として受け入れてしまっている事柄が多い。そしてそれは、深く知ったところで自分にはどうしようもないという、諦めの表明でもある。だが、ハズレ君の問いに対して考えることを強要されていく内に、彼女の行動にも変化が訪れていくのだ。受動から能動へと。ただ受け入れるのではなく求め続けることへと。

 作者の他の作品と同様に、既存作品と部分的にリンクした内容となっています。

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上遠野浩平作品の書評