絶望を否定し続ける男

 妙見宮高校には超人間と称される生徒、岩村陽春がいる。普段はアメコミ同好会の会長だが、「無理だ」「不可能だ」というセリフを耳にすると、無理であることを確かめるために他の全てを投げ出して、アメコミ同好会の仲間である多村豪や紳一郎・マルカーノと共に、その無理難題に挑む。そして必ずやり遂げる。
 新聞部部長の高津初美の妹、五月は、アメコミ同好会への潜入取材を命じられる。そのパートナーは新聞部の優秀な先輩であり、それにも拘らず煙たがられている杉浦夜那だ。二人が仮入部してからしばらくは平和な時間が続いていたのだが、生徒会の方針により廃部寸前の演劇部の川崎八枝の奮闘を知り、岩村が動き出す。

 大変だったり難しかったり、失敗したら恥ずかしいと思ったりして、やる前から諦めてしまう事も多い。諦めても自分の人生に致命的なことは起こらないと思っているからだ。しかし岩村はそうは思わない。無理だと思われていることに絶望したり、あるいは挑もうとしている人間がいれば、何をおいても駆けつけて、何も聞かずに手助けをする。
 そんな岩村をいささか疎ましく思っている生徒会。会長の森直規は、無駄に多い部活動を整理し、実績のないところを廃部にすることで、予算の合理化を進めようとしているのだ。その配下の秋山守孝や伊藤信幸は、森の思想をさらに直接的に進めようとする。

 この本の主人公は、岩村の他にももう一人いる。それが高津五月だ。彼女に岩村のような積極さはないが、出会った人に虚心に接し、その人の本質に触れ、たとえそれに同意できないにしても尊重する。そんな目立たない強さがある。
 これに対して岩村陽春の手法は、ある意味では自分の思想を相手に押し付ける面もあるわけで、そこには否定されることへの弱さが見えなくもない。彼がどうしてこの様になったのかは、おおよそ最後まで明らかにはされない。しかし、どこか悲観的でありながら、異常なまでに前向きな彼の生き方は、否定できるものではないだろう。
 そしてこの本の本質をあらわすセリフをひとつ。「絶望とは人生で一度も遣わなくて良い言葉の一つだ」

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滝川廉治作品の書評