1930年頃、北の炭鉱山と麓を結ぶ路線があった。息吹山炭鉱線と呼ばれる急勾配のその路線には、途中、息吹山隧道(ずいどう)がある。息吹山保線区の保線手である所田三郎は、息吹山新線の工事監督という本来業務を差し置いて、隧道内の点検に来ていた。 そこ…
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