技術の話から政治の話へ

 オンリーワンの技術を持った会社の御曹司であり、才能ある技術者でもある祐機は、十二歳の時に会社乗っ取りという憂き目に会う。買収を仕掛けたのは、世界生産に関する一般協定事務局(GAWP)。彼らは世界の生産性を向上させるための国際機関であり、親会社の生産性を向上させるという名目で、祐機の実家の会社買収を親会社に促したのであった。
 それから5年後、少女投資家のジスレーヌからの資金援助を受けることに成功した祐機は、自己複製機能を持つ作業ロボットの製造に成功する。そんな彼の夢は、人類を義務的生産から開放し、自由な創造活動を行える社会を実現することにあった。

 GAWPの推進するグローバル化や、生産性向上の名の下に行われる資本の集中に批判的な祐機。だが、新しい技術を導入することは古いシステムを淘汰することにつながり、古いシステムに従って生きている人の生活を圧迫するし、新しい技術を開発するためには多くの資金を必要とする。こう考えると、祐機のやっていることすらも、GAWPの活動と大差ないことになってしまう。
 このため、物語の中盤くらいまでは気分悪い感じで読み進めていたのだが、終盤に近くなり、GAWPの失敗に学んで祐機のやり方が少し変わってきてからは、さわやかに読めるようになった。そうなるとこの作品は、「導きの星」や「風の邦、星の渚」で描かれた超越者が社会のあり方に干渉する構造を、両者を対等の立場にし現代社会に置き換えた作品のように見えてくる。ほんのちょっとの違いで、非常に生々しい、国際支援のあり方を問うた物語になってくる。

 結局、人類社会を変革するような活動には莫大な資金がいる。そのお金を、GAWPは民間企業から集めるし、祐機はジスレーヌの投資活動から得る。現実の社会で各国政府が行う活動は、税金という形で国民から徴収する。投資者はROIの向上を求めるから、活動から何らかの利益を得る必要があるので、(短期的)利益が得られない活動は実行できない。だから、国際支援は、拙速で押し付けがましい行動になってしまうのだと思う。
 ただ、長期的視野にたって行動することが出来れば、短期的には損をするかもしれないけれど、いずれは利益を得ることが出来るはず。そのように考えることが出来るならば、これまでにはない様な支援活動が出来るだろう。最後に祐機が行った活動はまさにそうだと思うし、ジスレーヌの母親のオービーヌが行った投資は、そのような活動から利益を得ようとする行動だと思う。

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小川一水作品の書評