磁力と重力の発見 (3) 近代の始まり (山本義隆)

発見に至る長き道のり

 大航海時代を経て、ついに磁力と重力の発見の時を迎える第3巻。
 この「力の発見」という言葉に疑問を感じる方もいるかもしれない。力は日常で感じられるものなのだから、改めて発見するものでもないだろう、と。しかし、この日常の力には必ず”接触”が伴っている。だが、太陽と地球、鉄と磁石の間には何もないのだ。この何もない空間に力という概念初めてを持ち込むのは、かなり難しい発想の転換だと思う。

 ギルバートによる地球磁場の発見とその起源としての生物的地球観は意外な効果を生む。それは、ケプラーによって定式化された天体運動法則が天体の持つ磁場によって引き起こされているという思想であり、もう1つは、卑しい土くれゆえに動かないと考えられていた地球が、生物ゆえに動きうるという、天動説から地動説への転換の原動力として、である。
 ルネサンス時代は、磁力の第一原理として神や自然魔術が持ち込まれた。近代に入ると、そのような思想から脱却するため、自然は微小な機械によって構成される、という機械論が全盛をしめるが、その機械的な仕組みを考案するために、逆に実験的事実がないがしろにされる事態が発生してしまった。
 これは、磁力を扱う理論が自然哲学の範疇に入っていることが大きな原因だと思う。つまり、形而上の問題が重要で、形而下の問題はそれに付随的なものだとみなされてしまうのだろう。
 ケプラーガリレイ達の仲介によって出会った自然哲学と数学から近代物理学という胎児が生み出されるのはフック、ニュートンに至ってからである。観測事実に基づき、それを再現しうる数学的定式化を行う。問いの中に、どのような仕組みで起こるのかという疑問を含まない、数理物理学が親元から離れたのだ。この子が親元に戻ってくるには、この時点からしばらくの時を必要とする…。

 終着点の都合上、本巻には前巻までと比べて多くの数式が登場する。それも含めて理解しようと考えるならば、大学初等程度の電磁気学の知識を必要とするだろう。しかし、それを除いたとしても、「遠隔力の発見」に至る道筋を知ることができる良作だと思う。

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