知らないことも幸せの一つの形かも

 サイバーグ、ウィッテンの名前を見ると素粒子物理学を思い出すが、これらは作中の情報制御理論という架空理論に関係している。
 この理論によると全ての物質は情報と等価であり、『情報の海』にある情報構造体と時空の物質が対応していて、どちらか一方を操作するともう一方も変化するという関係があるらしい。このため、既存の物理では実現不可能な現象も、情報を書き換えてやることによって実現させることができるようになる。
 この操作を可能にするのが、i-ブレインという、人間の脳と演算装置を有機的に結合させたもの。これを搭載した人間は魔法士と呼ばれ、主に軍事目的に利用されている。
 なぜこんなに凄いシステムが主に軍事利用なのかというと、人類が滅亡の危機に瀕しているからだ。シティと呼ばれる居住用構造物の建築などで資源・エネルギー問題、食糧問題、人口問題を解決し、気象まで自由に操れるようになった人類は、その気象制御衛星の誤作動により、地球を人為的な氷河期に突入させてしまう。
 太陽光エネルギーの利用が絶望的になると、限られたエネルギーをめぐって世界大戦が勃発する。アフリカ大陸を吹き飛ばして戦争が終結したときには、勝利者たる人類はその人口を1/100にまで減少させていた。
 そんな時代、フリーの魔法士である天城錬は、姉や兄には内緒で、軍艦で輸送される研究物を奪うという仕事を請け負う。しかしその対象は物ではなく、自分と同じ年頃の少女だった。

 天災と同じ規模の人災が起こせる世界。荒廃した世界におけるわずかな希望にして絶望は、抗う術も同時に存在することである。例えば現代では、夏を涼しく過ごすためにエアコンを使用する、これも夏に抗う一つの方法だろう。だが、エアコンを使用するには電気が必要であり、発電には原油が必要だ。つまり、エアコンを使用するには、死ぬほど暑い中東で原油を採掘する人が必要ということになる。
 我々は、電気料金を支払い、そのうちいくらかが中東の採掘者に賃金として支払われることを知っているから、彼らに対して特に罪悪感は覚えない。これは労働の対価としてお金が認められているからだ。では、対価を支払えない代償を要求された場合は、どうすれば良いのだろう。しかもそれを要求されるのが自分ではないのならば。この作品は、そんな問いかけも含んでいる気がする。

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三枝零一作品の書評