嵐の中でこそ輝ける灯台

 オーストリア帝国の外相・宰相を務めたメッテルニヒの様々な出来事における判断を、他者の著作を引用しながら、おおよそ時系列順に紹介している。キーワードは、体制維持を基本としているが柔軟性もある保守政治家、というところだろうか。
 彼の政治家としての人生はフランス革命に始まる。そしてこの時の経験は、彼の政治家としての方向性を最後まで縛りつけることになる。

 長身で端正な顔立ち、深い知性を持ち教養が高く、話が面白くて女性にもてる。これだけ人も羨む面を持つメッテルニヒであるが、晩年の衰えを知るにつけ、平和の敵ナポレオンという太陽があってこそ、十分に光り輝くことができる月だったのではないかと思えてしまう。メッテルニヒが外交官としての頂点を迎える時期は、まさにナポレオンがヨーロッパを席巻する時期と合致していた。

 オーストリアプロイセン、ロシアという帝国が、ナポレオン率いるフランスに戦争では全く勝つことができない。その状況で彼は、オーストリア武装中立を表明し、戦争に倦みつつあったヨーロッパの想いを背景として、戦争に依らずして外交問題を解決するか、という点に注力していく。そして、ナポレオンとの息詰まる和平交渉。
 しかし、努力空しく戦争は再び起きる。その場合に備えて、各国の連携を確立し、大英帝国を巻き込んで、ナポレオンを破滅に追い込むための下地作りは忘れないのが、メッテルニヒという政治家だった。そして、戦争への勝利。

 戦後、ウィーン会議を切り回し、ヨーロッパの宰相として辣腕をふるい、長く政権の座に留まるものの、押し寄せる革命の波に対する対応は上手くいかず、内政は生彩を欠くものとなってしまう。
 彼にとって政治とは貴族のものであって、民衆が考える頭を持っていることを前提とする革命は、想像の範疇の外にあったということなのだろう。そして、仮に見える目を持っていたとしても、年齢による衰えは、人を保守的にさせていく。
 どれだけ業績のある人でも、晩年の身の処し方は、本当に難しいものだと思う。


 本書を読んでいて思ったのだが、イギリスとヨーロッパ、日本と中国の両関係は、良く似ていると思う。イギリスの文化的始まりは古代ローマの侵攻から始まるのに対し、日本も中国から強い文化的影響を受けてきた。そして、どちらも海に隔てられていて、基本的に不干渉の姿勢を貫いている。
 しかし、産業革命の波はイギリスからヨーロッパを席巻したし、明治維新後の日本の帝国化の波は中国の方向性にも大きく影響を与えたと思う。この様に、相互に影響を与えながら常に変化するのが、大陸と傍らの島国の関係性なのかも知れない。
 そして、輸送機関の進歩は世界の距離を縮め、日本の傍らにある大陸を一つ増やした。それがアメリカ大陸である。二つの大陸に挟まれた島国は、これからどこを目指せば良いのか。そんなことを考える。

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塚本哲也作品の書評