近代と現代の類似点を感じる

 日本の近代はいつから始まったのか?東アジアへの侵略を行った責任は誰にあるのか?という問いに基づき、父が娘に語るという体裁で、1トピックにつき5〜6ページで書かれている。この分量から分かるように、それぞれに詳細が語られるわけではない。だから、日本の近代史を詳しく知る役には立たないかもしれないが、大まかな流れは知ることができる。

 1つめの問いに対し、著者は寛政の改革からと答える。一般的にはペリー来航からという解釈がなされると思うのだが、明治維新が比較的すんなりと進んだ背景には、寛政の改革で実施された教育政策があると説くのだ。
 忠義という概念を定着させることにより、表面的には諸侯や直参が将軍に対して仕える構造を強固にした一方で、将軍ですら天皇に仕える構造を持っているのだということを衆目に明らかにしたという。それにより、大政奉還という制度の素地を意識にしみこませていったらしい。

 2つ目の問いに対しては、途中まで著者の意図を誤解していた。明治維新の元勲たちや高等遊民のような知的エリートたちが主導する歴史という視点で語ろうとしているかのように感じ、違和感を覚えていたのだが、結論はその逆だった。
 柳田國男の"常民"という概念を利用し、普通に生きる人々が作り出す流れを読み取って、彼らの民意を反映してエリートたちが政権運営をしていったことを、吉野朝を正統とする政府見解などが決定されていく様を事例に挙げながら説いていく。

 歴史というものは自分たちだけで紡ぐものではなく、自分たち以外の国との関係を考慮する上で初めて意味があるものになる。その際には、見たくない事実でも直視しなければならない。そして、歴史は普通の人々が積み上げていくものなので、誰かに責任を押し付けることはできない。
 まさにこれは、著者が娘に伝えたいことなのだろう。そして、いまの国会運営や国民へのアピールの仕方を見るにつけ、類似点を感じずにはいられないことでもある。

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小島毅作品の書評