自分をさらすことで他者を満たす、あるいは自分を証明する

 ネットで様々な情報を手に入れられる様になって久しい時代。他人の秘密を探り出すことに人生を捧げ、それが満たされないと禁断症状として自傷他傷に走るIPI症候群の存在が社会問題となってきた。その混乱を防止するため、政府はIPI配信者という存在を合法化するようになる。彼らは、自分の私生活をカメラにさらすことで、患者たちの好奇心を満たし、そして報酬を得る。小日向祭は、高校一年生にしてベスト100位に入る配信者の一人だ。
 もっとも、配信者の全てをカメラにさらしてしまったのでは周囲で生活する人々の生活もさらされることになるため、普通の生活が出来なくなってしまう。特に未成年者は学校があるため、自宅と公道以外はカメラをオフにするレベルで留めるのが一般的だ。しかし、祭の通う学校に、お風呂など肌をさらすところ以外はカメラをオンにしたままの配信者の少女、テラノ・ユイガが転校して来る。
 そんな私生活をさらす人間の側には近寄りたくない。ユイガと同じクラスの少女たちは拒否反応をしめし、学校は混乱状態に陥る。祭は同じ配信者の一人として、彼女の配信レベルを下げるように仕向けるよう学校から依頼されるのだが、ユイガには彼女なりの事情があり…というお話。

 その順位に従ってIPI配信者は報酬を得る。祭はそれを得て自活する高校生だ。そんな祭の側には、七種一葉という少女がいて、おおよそ控えめな祭をサポートするように、大胆に行動する。その組み合わせのおかげもあって、IPI配信者でありながらも、祭は普通の高校生としての日常を過ごすことが出来ている。
 その対極の位置にいるのがユイガだ。彼女は、配信レベルを下げれば普通の生活が過ごせることを知りながらも、それを下げない。下げられない。根本には誤解がありながらも、表層に現れる現象は周囲を慮らない行動であるため、周囲を傷つけ孤立していく。そんな二人は本来なら交わるはずもないのだが、外的要因によって祭がユイガに近づいていくのだ。

 設定的にはビデオチャットルームとさして変わらないのだが、その原因が病気であり、社会によって公認されているということによって、それを利用することが正当化されているところが面白い。
 ただ、そこから展開されていく物語にあまりインパクトが無い様に感じた。いや、ユイガの秘密はそれなりにインパクトがあることなのだが、設定が社会的病巣に迫る様な、地に足が着いた系であるのに、そこで抱えられる秘密が普段の生活から遠いような気がするのだ。だからそれが良い意味でのギャップではなく、すれ違いのように感じてしまう気がする。もう少し設定に近い領域で攻めた方が面白かったのではないかというのが個人的な感想だ。

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里田和登作品の書評