とにかく分厚い、でも文章は明快で読みやすい

 原著を三分割した翻訳版であり、ミクロ経済学は二分冊目、マクロ経済学は三分冊目になっている。一分冊目は入門経済学なのだが、その内容は二、三分冊目にもだいたい埋め込まれているため、必ずしも読まなければならないということはないと感じた。ただし、文章はとても読み易く明快に書かれているが、ある程度の知識を前提としてさらっと論理展開している部分も随所にあるので、どんな入門書も読んだことがない人ならば、一分冊目を読んでおいた方が良いかもしれない。

 ミクロ経済学では、まず完全市場のケースとして、生産物市場、資本市場、労働市場のそれぞれについて具体例を挙げながら説明し、独占や寡占、各市場の不完全性について説明を展開している。また、最新のミクロ経済学として、近代の貿易政策やゲーム理論、外部性の問題として技術革新や環境問題にも触れている。
 計算問題に習熟するというよりは、ミクロ経済学の概念について解説することに重点を置いているという感じ。アメリカの事例が多いのだが、日本版への訳者による追記も多く、日本での教科書としての利用にも配慮しているように思う。しかし、民営化に関する追記には前提条件などの記述の不足を感じた。

 マクロ経済学については、完全雇用モデルから始めて、現実の経済とのギャップの源泉であろう、経済成長や経済変動の理論の論理構造を概説し、インフレーションと失業や金融・財政政策について主にアメリカの例を用いて説明している。このため、日本に特化した説明を読みたい方の期待には沿えない。
 終盤の第二次大戦後の復興やグローバリゼーションについてはこれまで読んだマクロ経済学の教科書では触れられていなかったので、興味深く読むことができた。また、この本の特徴として英単語の対訳が掲載されているので、専門的に学ぶ際には役立つと思う。

 ミクロ経済学を読んでからマクロ経済学を読み終わるまでに少し間が空いたこともあり、少しひいて見つめることができたためか、マクロ経済学の学問としての完全性に疑問を抱いてしまった。
 ミクロ経済学については、特定の財・サービスについて理論を展開するため、議論する上での各種条件もかなり正しく仮定することができるし、議論の結果もそれなりに妥当性のあるものを導けると思う。物理に例えるならば、1つの分子に対する力学みたいなものだろう。
 一方で、マクロ経済学については、経済全体について抽象化した財・サービスについて理論を展開する。物理に例えると、熱統計力学みたいなものだろう。ここで疑問になるのが、熱統計を議論する上では、ボルツマンなどが熱分子運動論に統計的性質を利用できる数学的正当性を証明しているけれど、経済学の場合でも、抽象化を正当化する議論って行われているのだろうか。
 マクロ経済学で言っている事は、ミクロの議論のナイーブな拡張でもあるし、何となく正しいような気がするのだけれど、本当にこういうナイーブな拡張をやってもよいという根拠は良く分からない。時々起きる不況という現実を考慮すると、マクロ経済学はまだまだ学問として補強する必要がある気がするなあ。

 信ずるにせよ信じないにせよ、今あるスタート地点を把握しないと新しい展開にも進めないと思うので、それを知るためにも一読してみるのもよいと思います。

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ジョセフ・E.スティグリッツ作品の書評